神斬鋏は依頼を受けない

神斬鋏は依頼を受けない


※強めの幻覚

※メルニキのよそ行きの顔が見たかった話

※メルニキが冷たい



 ここは"偉大なる航路"前半の海、通称"楽園"。誰にでも辿り着ける小さな島。現在キャメルは訳あってそこを拠点に仕立て屋として活動していた。

 今日も十時に店を開けられるように準備を終え、日当たりのいい場所にゆったりと腰掛けた。外からは柔らかい日の光が、まだ誰も居ない店内を照らす。静かに時の流れを感じる時間。キャメルは弟と過ごす次の次くらいにこの時間が好きだった。誰に邪魔されることもなく、弟は今頃何をしているのかと思いを馳せるのだ。

 しばらくそうしていると、店の前に人影が立つ。

 カラン、という軽い金属音でキャメルは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。パタンナーとしての仕事開始の合図だ。


「いらっしゃい、今日はお早い来店で」

「ゆっくりしていたところ悪い。午後から予定があるんだ」

「こっちは仕事なんだ、構わないよ」


 一人目のお客様は身なりのいい中年の男だった。もう何度か店に足を運んでもらっている。


「今日はこれを頼む」

「ふむ、綺麗なドレスだね。奥さんの?」

「あぁ。着れなくなったらしくてな。サイズはこの前取ったやつでいい」


 仕立て直しも請け負っているキャメルのもとには、こうして人々に大切にされている服が持ち込まれることもある。


「承知しました。けど受け取りに来る時は奥さんと一緒にね。着てもらわないと。それに、夫婦喧嘩は犬も食わないっていうだろう?」

「……納期はいつになる?」

「長めに取っておこうかな」

「……いや、二週間だ。二週間で仕上げてくれ」


 男は難しい顔をして何やら考えた後、そう言った。

 このくらいなら二週間もかからない。とは口に出さずにキャメルは頷いた。


「それじゃあ、二週間後に」


 男を見送るためにキャメルが扉に手をかけると、それに促されるように男は外へ出た。

 帰り際にこんな言葉を残して。


「近々天竜人が来るらしいから、その日はアンタも店を閉めといた方がいいんじゃないか」

「親切にどうも」


 目の前にいるのは、それをものともしない神斬鋏であるとも知らずに男は去っていった。


 ◇◆


 男の善意からくる助言をキャメルがすっかり忘れた頃。天竜人が島に降り立った。

 その日もキャメルはいつも通りに店を開けたのだが、客の入りが悪い。閑散期がやってきてしまったのかとキャメルは危惧したが、なんのことはない。やってきたのは天竜人だったらしい。

 胸を撫で下ろしたキャメルは、やっぱりアイツら邪魔だなと椅子にドカリと足を組んで座った。

 斬りに行くか、とぼんやり考えながら頬杖をつくキャメルだったが、店の扉の開く音を聞き頭を切り替えた。


「いらっしゃい、本日はどんな────」

「アンタに頼みがあって来た!」


 慌てた様子の男はキャメルの言葉を遮り叫ぶように言った。汗だくのこの男は一体どこから走って来たのか。それよりキャメルが気になったのは、男の言う頼みとやらだった。

 どうにも仕立て屋の自分に用があるようには見えない。


「なぁ、アンタ神斬鋏なんだろう?!」


 キャメルはピクリと眉を僅かに動かした。


「なんだ。客じゃないなら用はないよ。お引き取り願おうかな」


 再び椅子に腰をかけようとするキャメルに男は食らいつく。


「アンタにしか頼めないんだ! 彼女を助けてくれ!! このままじゃ連れていかれちまうッ!」


 構わず深く腰かけたキャメルは心底面倒臭そうな顔をしてそれを見ていた。


「噂があるんだ、神斬鋏って男の噂が……あの憎い天竜人を狩りとってくれる男が居るってな! アンタなんだろう?! 金は払う、必ず! だから────」

「なんで自分でやらない?」


 今度はキャメルが、喧しく捲し立てる男の言葉を遮った。


「は?」

「大切なんだろう? その彼女が。なら自分で守りなよ。そしてそれは私には関係のない話だ。違うかな?」

「だからッ! そんなことしたら」

「殺されるから? そうだね。お前じゃそうなるだろうね。よく分かってるじゃないか」


 キャメルの瞳は男を写してはいるが、何かが不気味で男はそれに身震いした。それでも話すことは止めない。


「イカれた男だって聞いてる。笑顔で人を殺すような、イカれたヤツだって……殺せるならなんだっていいはずだろ! アイツらを殺してくれよ!」


 たまに居るのだ。こういうヤツが。


「はぁ……神斬鋏って名前をどこでどう聞いたのかは知らないけど、お前たちは何か勘違いしてるんじゃないかな? 私は誰かに頼まれて人を殺したことなんてないし、殺すこと自体を楽しんでいるわけじゃないんだよ」


 戦うのは好きだが、それは決して殺したいからじゃない。こういう輩が決まって人を快楽殺人鬼くらいに言いやがるのは何故なのか。

 殺したくて人を殺すことなんて、真っ先に思いつくのは愛する弟がこの世の理不尽に巻き込まれそうになったときとかだけど、とキャメルは考えた。

 基本的に殺しは手段であって目的ではないのだ。


「それに私は嫌いなんだ、お前たちのようなのがね。なぁ、だってそうだろう? その時に抵抗すればよかったじゃないか、できる限り精一杯。何故お前たちは自分の愛する者が天竜人に連れて行かれそうになっているときさえ、ロクに動きもしないんだろうね」

「抵抗すれば殺されていた……! おれはアンタみたいな化け物じゃない!」

「この世界で生きるということはそういうことだよ。私は弱者が嫌いなんじゃない。大切なものを壊される瞬間すら動かないグズが、安全だと分かった場所からならいくらでも石を投げつけ声高に罵る。その性根が嫌いなのさ。お前はそういうヤツらと同じ目をしてる」


 弱いヤツには惹かれないだけだよ。と最後に付け足して、キャメルは立ち上がる気など毛頭ないというように足を組む。


「分かったら帰ってくれるかい? 私は弟に送る服を仕立てるのに忙しいんだ」


 その時初めてキャメルは男に笑顔を見せた。

 弟を思い浮かべているのだろう。

 それがどう見ても愛おしい者に向ける表情だと分かったから、余計に男は絶望の淵に立たされている気分になった。

Report Page